ハセツネリタイア記
お盆を開けた頃から一ヶ月近く曇り空、雨の日ばかりである。今夜もプールに行きたかったが、台風の大雨で帰宅困難者になっちゃう恐れがあるからね。
いまひとつ身体の調子も悪く、ランニングは所用が重なり出来ず(走れたとしてどうかな?)、 仕事も壁に当たり乗り越えるキッカケもない。こんな時はマイナスな考えばかり浮かんでしまう。
今年のレースは、後半の10月ハセツネ、11月FTR50k、12月神宮外苑24時間の3レースだけである。でも、走り切れる自信があまりなく、今さらエントリーしたことに後悔しているのである。長いレースだと、どこかの時間帯に頭に違和感が出て来そうである。こんな奴がレースに出るのも迷惑だろう。
従って、最初のハセツネが試金石になる。このレースは、ほぼすべてのコースを把握しているつもりである。状態によって、どこで止めればいいのか分かっている。神宮も止めやすいか… でも、ハセツネがダメなら他は出てもしょうがないな。
ハセツネは過去3回リタイアしている。どれも準備不足、そのために気力不足であった。リタイアは気持ちの問題が大きいのである。
リタイア記
1回目
1998年第6回ハセツネ 38歳 第一関門リタイア4時間15分
乗らない気分で五日市へ着くも、レースの行動食が満足に買えず。調子は悪くなかったが、実は翌日の娘の運動会が気になっていた。この当時、運動会は体育の日というのが一般的だった。結局、浅間峠手前で気力なくリタイアを決める。これがレースでの初リタイアだった。上川乗まで集団で下って行く時、後悔したのを覚えている。家に帰ると奥様が『ありがとう』だって。まあ、今となっては懐かしい。
2回目
2000年第10回ハセツネ 40歳 第二関門10時間40分、大ダワリタイア12時間ぐらい
走れない時代だった。レースは年1回のハセツネが出れるかどうかだった。第一関門まで5時間17分。体力・気力ともなく大ダワで水が尽きて、思わずリタイアテントに逃げ込む。この時のリタイアは今でも後悔している。悔しかった。きちんと練習して挑みたい…と思った。こういうことが続けられた要因だと、今になって思う。
3回目
2014年第22回ハセツネ 54歳 醍醐丸リタイア3時間以上
入山峠先ですでに気力がなくなっていた。市道山分岐で大休止。そしてその後、転んで胸を強打。行けたけどリタイアの理由になった。このリタイアで10月1日から始めていた禁酒を続ける決意をした。
まあ、3回目のリタイアはともかく、本来なら絶好調のはずの38歳、40歳で練習不足により気力なしというのはもったいない。でも、あの頃は、本当に忙しかったよなあ。
しかし、日頃、自分の長所は『打たれ強いこと』なんて胸を張っているが、弱小じゃねぇ。『打たれ強さも』日々の練習で培われるのだろう。
恐れているのは、第3回目のリタイアのようになること。体調が悪くなるとすると、市道山分岐手前辺りだと思う。そこまであえて押さえるのか、行くのか思案のしどころである。
今からドキドキさせやがるなあ。絶対、身体に悪いな。
by nao-yamaniiku
| 2016-09-20 21:34
| ハセツネ徒然
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